【徹底解説】インゲブリクトセンはなぜ速い?「ノルウェー式」閾値トレーニングの科学と実践ガイド

ノルウェーの雄大な山々を背景にトラックで集団トレーニングを行うエリートランナーたち。インゲブリクトセン兄弟を彷彿とさせる長距離走の練習風景。

忙しい人向けの3行まとめ

・最新論文は、インゲブリクトセン流の「ノルウェー式」こそが、根性論の限界を突破する長距離トレーニングの「次なる進化(Next Step)」であると結論づけた。
「閾値(LT)」をインターバル形式で刻むことで、身体へのダメージを最小限に抑えつつ、本来バテやすい速筋を「疲れ知らずのエンジン」に改造できる仕組みを解明。
・ペースタイムに縛られず、「乳酸値(体の負担)」をコントロールして走ることこそが、怪我なく練習量を最大化し、記録を伸ばす最短ルートであると提唱している。

「ヤコブ・インゲブリクトセン」の強さの裏には、父親でありコーチだったゲルト・インゲブリクトセンと、元エリートランナーの研究者マリウス・バッケンらが構築した、極めて論理的で科学的なトレーニングシステムが存在します。

今回は、2023年に発表された注目論文『高ボリューム・低強度アプローチにおける乳酸ガイド下閾値インターバルトレーニング(LGTIT)は、次なるステップか?』[1]の内容をベースに、世界最先端の「ノルウェー式トレーニング」の正体と、私たち市民ランナーが取り入れるべきエッセンスを徹底解説します。

目次

これまでの常識を覆す「ノルウェー式」とは?

従来のランニングトレーニングの常識は、大きく分けて2つの派閥がありました。

  1. リディアード式(高ボリューム): とにかく長い距離を走り込み、土台を作る。
  2. 高強度インターバル派: 「No Pain, No Gain(痛みなくして成長なし)」。全力に近いスピードで追い込む。

しかし、ノルウェー式はこのどちらとも少し違います。論文では「LGTIT(乳酸ガイド下閾値インターバルトレーニング)」という難しそうな名前で定義されていますが、簡単に言うとこういうことです。

「全力(オールアウト)の手前、”きついけど余裕がある” 強度(閾値)でのインターバル走を、恐ろしいほどの本数こなす」

彼らは、レースペースよりも遅いペースでの練習を徹底的に繰り返します。しかも、「1日に2回(ダブル・スレッショルド)」行うこともあります。

なぜ、そんな「中途半端」にも見える強度が、世界最速への近道なのでしょうか?

秘密は「乳酸」のコントロールにある

トラック上でランナーの指先から採血し、ポータブル乳酸測定器で数値をチェックするコーチの様子。閾値(LT値)トレーニングにおける乳酸管理のクローズアップ。
練習の途中で乳酸値を測り、ターゲットゾーン(2.0〜4.5 mmol/L)を厳守するのがノルウェー式

このメソッドの最大の肝は、「乳酸値(Lactate)」の徹底管理にあります。

通常、インターバル走というと、心拍数がMAX近くまで上がり、脚がガクガクになるまで追い込むイメージがありますよね。しかし、インゲブリクトセンたちは練習中、指先や耳から血を採り、その場で乳酸値を測ります。

そして、以下の数値を絶対に超えないように走ります。

  • ターゲット乳酸値: 2.0 〜 4.5 mmol/L

これは感覚で言うと「会話はちょっときついけど、まだ走れる」「ハーフマラソンのレースペース前後」という強度です。もしペースが速すぎて乳酸値がこれを超えたら、彼らは練習の途中でもペースを落とします

「頑張りすぎないこと」 これがノルウェー式の鉄の掟です。

なぜ「寸止め」が良いのか?

論文では、この「閾値強度(LT値付近)」でのトレーニングが、生理学的に見て最強の効率を生む理由が解説されています。

① 「乳酸をエネルギーに変える能力」が爆上がりする

乳酸はもはや「疲労物質」ではありません。重要な「エネルギー源」です。 閾値付近(乳酸が少し出ている状態)で長く走り続けると、体内で「MCT(モノカルボン酸トランスポーター)」という運び屋タンパク質が増えます。

  • MCT4: 筋肉から乳酸を排出する
  • MCT1: 乳酸を取り込んでエネルギーにする

この能力が高まると、レース中の高速ペースで発生した乳酸を、即座にエネルギーとして再利用できるようになります。つまり、「疲れ知らずのエンジン」が手に入るのです。

② 速筋の「持久力化」

ここが非常に面白いポイントです。 ゆっくりなジョグでは「遅筋」しか使われません。逆にダッシュでは「速筋」が使われますが、すぐにバテます。 閾値インターバルは、その中間の絶妙な強度です。これにより、「速筋(Type IIa)」という繊維が動員されます。 この強度で長時間トレーニングすることで、本来は疲れやすい速筋が、酸素を大量に使って走り続けられる「持久型」に進化するのです。ラストスパートで競り勝てるのは、この「改造された速筋」のおかげです。

驚異の「ダブル・スレッショルド」とその中身

一列になってトラックを走るランナーの集団。フォームが整っており、余裕を持った一定のペースで閾値インターバル走(ダブル・スレッショルド)を行っている様子。

では、具体的に彼らはどんなメニューを行っているのでしょうか? 論文で紹介されている、典型的な「火曜日・木曜日」のメニューを見てみましょう。彼らはこのセットを週に2回(つまり計4セッション)行います。

【午前セッション:長めの閾値】

  • メニュー: 6分間走 × 5本(リカバリー1分)
  • 乳酸値: 2.0 〜 3.0 mmol/L(マラソンペース〜ハーフペース程度)
  • 目的: 基礎的な持久力の構築、機械的ストレスの蓄積

【午後セッション:短めの閾値】

  • メニュー: 400m × 25本(リカバリー30秒) または 1000m × 10本(リカバリー1分)
  • 乳酸値: 3.0 〜 4.5 mmol/L(10kmレースペース程度)
  • 目的: スピード持久力の強化

注目すべきポイント:

  1. 分割している: 10kmや15kmを一度に走る(ペース走)のではなく、細かく休憩を挟む「インターバル形式」にしています。これにより、乳酸の蓄積を抑えながら、トータルの走行距離と強度を稼ぐことができます。
  2. ボリュームがえぐい: 午後の400m×25本だけでトータル10000mです。普通の市民ランナーならこれだけで1週間分のポイント練習になりそうですが、彼らはこれを「余裕を持って」終わらせます。だからこそ、週に2回も(合計4回も)できるのです。
  3. 週1回だけ「坂ダッシュ」: 全力で心拍数を上げる練習(VO2max系)は、実は土曜日の午後だけ

市民ランナーはどう取り入れる?実践ガイド

この論文から学べる「速くなるためのエッセンス」は、市民ランナーにこそ有効です。なぜなら、私たちは往々にして「練習で頑張りすぎて、怪我をしたり、疲労が抜けずにレースで失敗する」からです。

明日から使える「プチ・ノルウェー式」実践法をまとめました。

① 「ゼーハー」禁止!感覚(RPE)で管理する

乳酸測定器の代わりに、自分の感覚を研ぎ澄ませましょう。 閾値トレーニングのターゲットは以下の感覚です。

  • 「快適にきつい(Comfortably Hard)」
  • 「練習が終わった後、あと2〜3本なら余裕でいけると感じる」
  • 「翌日に筋肉痛や重い疲労が残らない」

もし、練習の後半でフォームが崩れたり、膝に手をついて倒れ込むようなら、それは「速すぎ」です。勇気を持ってペースを落としましょう。

② ペース走(PR)を「分割」してみる

例えば、「今日は10kmペース走(4分30秒/km)をやろう」と思ったとします。 これをノルウェー式にアレンジするとこうなります。

  • 変更案: 2000m × 5本(リカバリー1分ジョグ) ペースは4分25秒〜30秒/km

メリット: 途中で1分の休息が入ることで、心拍数と乳酸値が一度落ち着きます。これにより、10km続けて走るよりも生理的なダメージを抑えつつ、質の高いフォームを維持してトータル10kmを走りきることができます。 結果として回復が早まり、週末のロング走なども質の高い状態で臨めるようになります。

③ 週2回のポイント練習を「閾値」にする

市民ランナーの定番は「水曜にスピード練習、週末にロング走」ですが、サブ3〜サブ4を目指す層なら、こんなスケジュールはいかがでしょうか。

  • 月: ジョグ
  • 火: 閾値インターバル(例:1000m×6〜8本、レスト1分) ※腹八分目で!
  • 水: ジョグ
  • 木: 閾値インターバル(例:1600m×4本、レスト90秒) ※少し長く、ペースは火曜より少し遅く
  • 金: 休み or 軽いジョグ
  • 土: ロング走 or 坂ダッシュ(短時間高強度)
  • 日: 長めのジョグ

ポイントは、火曜と木曜に「出し切らない」ことです。これまで1回に詰め込んでいた強度を2回に分散させることで、週間での「質の高い走行距離」を増やす作戦です。

FAQ

Q1. 乳酸測定器を持っていません。心拍数やペースで代用できますか?

A. はい、可能です。 プロのように厳密な数値管理はできませんが、「心拍数」「感覚(RPE)」で十分代用できます。

感覚: 「会話は断片的にできるが、歌うのは無理」「1時間なら走り続けられそうなペース」を目安にしてください。 GPSウォッチの「閾値走ペース(Tペース)」機能などを参考にするのも有効です。重要なのは「ゼーハーして足が止まるまで追い込まない」ことです。

心拍数: 一般的に最大心拍数の82%〜92%付近が閾値ゾーンと言われています。

Q2. 市民ランナーでも「1日2回(ダブル・スレッショルド)」やるべきですか? 

A. いいえ、まずは「1日1回」から始めてください。 インゲブリクトセン兄弟がダブルを行うのは、週180kmという圧倒的な走行距離を消化するためです。月間走行距離が400km未満のランナーが急にダブルを行うと、関節や腱への負荷が高すぎて怪我をするリスクがあります。 まずは週1〜2回、通常のポイント練習を「分割した閾値走」に置き換えるだけで十分な効果が得られます。

Q3. 全力で走らないと、スピードが落ちてしまいませんか? 

A. 心配ありません。むしろレース後半のスピードは上がります。 このトレーニングの目的は「スピードのベース(土台)」を大きくすることです。閾値トレーニングで速筋の持久力が上がれば、レース終盤でも脚が動くようになります。 もしキレのあるスピード(最大スピード)が落ちるのが心配な場合は、記事内にあるように週1回だけ短い「坂ダッシュ」を入れることで、神経系のスピードを維持できます。

Q4. インターバルの休息時間(リカバリー)はどのくらい取ればいいですか? 

A. 「短め」が基本です。 全力のインターバル走とは異なり、心拍数を下げきることが目的ではありません。乳酸を「少し除去する」だけで十分です。

目安: 疾走時間の 1/5 〜 1/6 程度(例:1000mを4分で走るなら、休息は45秒〜1分)。 動きを止めず、ゆっくりとしたジョグで繋ぐのがポイントです。休息を短くすることで、心拍数が高い状態を維持したままトレーニング時間を稼ぐことができます。

まとめ

河川敷のランニングコースで、練習後に笑顔でスマートウォッチを確認する女性ランナー。余裕を残してトレーニングを終えた充実した表情。
「ゼーハー」して倒れ込むのが練習ではない。フィニッシュ後に「まだ走れる」と笑える余裕こそが、数ヶ月後の自己ベストにつながる。

今回の論文が示唆しているのは、ランニングトレーニングの進化です。

  • 全力を出さない勇気を持つこと。
  • 1回の練習で燃え尽きず、積み重ねを重視すること。
  • 自分の身体の声(感覚)を信じること。

これが、次のレベルへ進むための「Next Step」です。

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参考文献

[1] Casado, A., et al. (2023). Does Lactate-Guided Threshold Interval Training within a High-Volume Low-Intensity Approach Represent the “Next Step” in the Evolution of Distance Running Training? Int. J. Environ. Res. Public Health.

(注:本記事は学術論文の解釈に基づく情報提供であり、個人の健康状態に合わせたトレーニングの実践を推奨します。怪我や体調不良時は無理をせず専門家に相談してください。)

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