「もうこれ以上タイムを縮められない」
そんな壁にぶつかっていませんか?実は、トレーニング以外にも改善できるポイントはたくさんあります。今回は、英国自転車チームを世界の頂点に導いた「マージナルゲイン」という考え方を、マラソンに応用する方法を科学的データとともに解説します。
マージナルゲインとは?自転車競技から生まれた「1%の革命」

マージナルゲイン(Marginal Gains)とは、日本語にすると「わずかな利益の積み重ね」です。この概念を一躍有名にしたのが、英国自転車チームのパフォーマンスディレクターを務めたデイブ・ブレイルスフォード卿でした。
彼の哲学は次のとおりです。
マージナルゲインの基本原則 「自転車に関わるすべての要素を分解し、それぞれを1%ずつ改善すれば、全体として大きな向上が得られる」 デイブ・ブレイルスフォード
ブレイルスフォードが就任した2003年当時、英国の自転車競技は100年近くも低迷していました。オリンピックの金メダルは1908年以降たったの1個。欧州のトップメーカーがイメージダウンを恐れて自転車の販売を拒否するほどでした。
彼のチームが取り組んだのは、大きな改革ではなく、無数の小さな改善です。バイクシートの人間工学的な最適化、タイヤに塗るアルコールでのグリップ改善、選手ごとに最適な枕の選定、正しい手洗い方法の指導による風邪予防、さらにはチームトラックの内部を白く塗装して微細なほこりを見つけやすくする。
こうした「微差」の積み重ねが、驚異的な結果を生みました。
その成果は数字が物語っています。2008年の北京オリンピックでは金メダル8個(利用可能な金メダルの60%)を獲得。2012年のロンドンオリンピックでも金メダル8個に加え、9つのオリンピック記録と7つの世界記録を樹立しました。2007年から2017年の10年間で、世界選手権178勝、オリンピック・パラリンピック金メダル66個、ツール・ド・フランス5勝。近代自転車史上最も成功した時代と言われています。
あきら元サイクリストとしてこの話には思い入れがあります。チームスカイ(現イネオス・グレナディアーズ)の躍進をリアルタイムで見てきた世代として、同じ考え方をランニングに持ち込めないかと、ずっと考えていました。
なぜマラソンにマージナルゲインが効くのか

自転車競技で革命を起こしたこの手法、実はマラソンにこそ相性が抜群です。その理由は3つあります。
第一に、マラソンは「時間の長いスポーツ」だということ。 42.195kmを走る間、小さな効率の差が積み重なり、ゴールでは大きなタイム差になります。例えば、ランニングエコノミー(走行効率)が1%改善されれば、サブ3ランナーの場合、理論上約1分48秒の短縮につながります。
第二に、改善可能な要素が多いこと。 シューズ、ウェア、栄養、ペーシング、睡眠、気象対策。マラソンは総合力の競技です。一つひとつの改善は小さくても、10項目を1%ずつ改善すれば、複合効果は単純な足し算以上になり得ます。
第三に、トレーニング以外の伸びしろが大きいこと。 多くの市民ランナーは、練習量や練習強度の改善には熱心です。しかし、ギア選択、レース戦略、栄養タイミング、リカバリーといった「トレーニング外」の要素には、まだまだ改善余地が残されています。
大前提:まず「大きな要素」を押さえる マージナルゲインの考え方に夢中になる前に、一つ重要な注意点があります。ノルウェーのトライアスロンコーチ、オラフ・ブーの言葉を借りれば、「まず分単位の改善、次に秒単位、最後に10分の1秒単位の改善に取り組め」ということです。十分な走行距離、適切な強度バランス(80/20の法則)、基本的な栄養管理。これらの「マクロ」が整っていない段階で「マイクロ」の最適化に走ると、本末転倒になりかねません。
サブ3ランナーが狙える「5つのマージナルゲイン」

では、基本ができている市民ランナーが、さらにタイムを縮めるために活用できるマージナルゲインにはどんなものがあるでしょうか。科学的な研究データをもとに、効果の大きいものを5つ紹介します。
① スーパーシューズ:ランニングエコノミーを2〜4%改善
カーボンプレート搭載の厚底シューズ、いわゆる「スーパーシューズ」の登場は、まさにマラソン界のマージナルゲイン革命です。
Hoogkamerら(2018)の研究では、Nike Vaporfly 4%がランニングエコノミーを平均4%改善することが示されました。その後の複数の研究でも、2.6%〜2.8%の改善が確認されています(Barnes & Kilding, 2019; Hunter et al., 2019)。2016年以降、5kmからマラソンまで、すべての世界記録がカーボンプレートシューズの時代に更新されています。
スーパーシューズの効果
- ランニングエコノミー改善:2〜4%(個人差あり、最大6.4%という報告も)
- タイム換算:サブ3ランナーで約2〜4分の短縮ポテンシャル
- 注意:走速度が遅いほど効果は小さくなる傾向あり(10km/h時で約0.9%)
ただし、効果には個人差が大きく、フットストライクパターンや走法によっては効果が出にくいケースもあります。自分に合ったシューズを選ぶことが重要です。
👇️スーパーシューズの効果について知りたい方はこちらの記事もどうぞ。
② ドラフティング:酸素消費量を約2.8%削減
前のランナーの後ろにつくことで空気抵抗を減らす「ドラフティング」。自転車では常識ですが、マラソンでも科学的に効果が証明されています。
研究によると、マラソンペースでのドラフティングにより酸素摂取量が約2.8%減少します。フルマラソン換算で約1〜2分の短縮効果が期待できます。向かい風の区間では、この効果はさらに大きくなります。
実践のコツは、スタートブロックで同ペースのランナーを見つけ、集団の2〜3列目に位置取ること。ただし、自分のペースより速い集団に無理について行くと、後半の失速を招くため注意が必要です。
👇️「ドラフティング」についての詳細を知りたい方はこちらの記事もどうぞ。
③ カフェイン摂取:1〜3%のパフォーマンス向上
カフェインは、科学的に最もエビデンスが確立されたエルゴジェニックエイド(パフォーマンス向上物質)の一つです。
Southwardら(2018)のメタ分析では、3〜6mg/kgのカフェイン摂取により、持久系タイムトライアルで平均2.22%のタイム改善が報告されています。サブ3(3時間00分)のランナーなら、約4分の短縮に相当します。
カフェインの効果的な摂取法
- 推奨量:体重1kgあたり3〜6mg(体重60kgなら180〜360mg)
- タイミング:レース60分前
- 形態:カプセルが最も効果的という報告あり(低用量カプセルで2.2%改善)
- 注意:個人差が大きく、普段からカフェインに慣れていると効果が減弱する可能性
👇️マラソンランナーのカフェイン戦略について記事にしました。
④ レース戦略の最適化:ペーシングと補給で拾う数分
「走力」が同じでも、レースの走り方で結果は大きく変わります。
ネガティブスプリット(後半を速く走る)戦略は、多くのエリートランナーが採用しています。前半をやや抑えて入り、後半にペースを上げることで、エネルギーの枯渇を防ぎ、トータルタイムを最適化できます。
補給戦略も重要です。レース中の糖質補給(1時間あたり60〜90gが目安)は、後半のパフォーマンス低下を防ぐ鍵です。さらに、給水所でのロスを最小化すること——立ち止まらずに走りながら給水する技術を練習で身につけておくだけでも、数十秒の節約になります。
👇️あなたの目標レースで最適なペース戦略を知りたい方は、こちらの記事もどうぞ
⑤ エアロダイナミクスとウェア:「見えない数十秒」を削る
ランニング時の空気抵抗は、多くのランナーが見落とす改善ポイントです。
タイトフィットのレースウェアを着るだけで、ルーズなウェアと比較して空気抵抗を大幅に減らせます。帽子の有無、サングラスの形状、ゼッケンの付け方(バタつかないように)
こうした細部も、42.195kmの積み重ねでは無視できない差になります。研究データによると、エアロダイナミクスの最適化だけで数十秒から1分程度の改善が期待できます。
👇️空気抵抗を極限まで削るゼッケンの付け方を記事にしました
1%×10項目=マラソンで何分縮まるのか?

では、これらのマージナルゲインを組み合わせたとき、実際にどれほどの効果があるのでしょうか。サブ3(3時間00分)ランナーを例に、控えめに試算してみましょう。
| 改善項目 | 推定効果 | タイム換算(目安) |
|---|---|---|
| スーパーシューズ | RE 2〜4%改善 | 2〜4分 |
| ドラフティング | 酸素消費 2.8%削減 | 1〜2分 |
| カフェイン | 1〜3%改善 | 1〜2分 |
| ペーシング最適化 | — | 1〜3分 |
| ウェア・空力 | — | 0.5〜1分 |
もちろん、これらの効果が単純に足し算になるわけではありません。研究者のTrent Stellingwerffが指摘するように、複数の介入は必ずしも効果が「集積(aggregate)」するわけではなく、重複する部分もあります。しかし、すべてを最適化した場合、合計で3〜5分程度の改善は現実的な範囲です。
あきら私自身、サイクリングからランニングに転向した経験があるからこそ断言できます。「トレーニングで1分縮める」のと「ギアと戦略で1分縮める」のでは、後者のほうがはるかに簡単です。両方やれば、もっと速くなれる。それがマージナルゲインの真髄です。
まとめ:「1%の積み重ね」を始めよう
マージナルゲインの考え方は、一つひとつの改善は地味で、効果も小さく見えるかもしれません。しかし、それらを科学的に、計画的に積み重ねることで、トレーニングだけでは到達できなかったタイムに手が届く可能性があります。
大切なのは、まず基本を押さえたうえで、自分にとって最も伸びしろのある要素から取り組むこと。いきなりすべてを変える必要はありません。次のレースに向けて、まずは一つ、「1%の改善」を始めてみませんか?

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